pikaさんの日常

バルーンアーティストになる前の職業って何ですか?転職を何度かしてみて感じた事

皆さん こんにちは

私の今の職業は『サービス業でバルーンアーティスト』になります。
皆さんも過去に色々なバイトや職業の経験がある方も多いと思います。
そんな私の過去の職業の話をしてみたいと思います。

光陰矢の如し、一寸の光陰軽んずべからず

私は商業高校を卒業して直ぐに就職しました。
とにかく早く働いて、お金を稼ぎたかった!これだけでした(笑)
なんで、そんなに早く働きたかったか今は覚えてませんが
勉強が嫌いで、これ以上勉強したくなかったのかもしれません。
今だったら大学や専門学校へ行ってみたかったという気持ちがあります。

あの時に、もっと勉強してればと思う後悔もあります。
歳取ってから勉強やたらとしたくなります(笑)
この気持ちが若い頃にあれば!!
高校の時に習ったことわざで未だに覚えているものがあります。

『光陰矢の如し、一寸の光陰軽んずべからず』
今、この歳にになって、この言葉の意味を実感してます。
過ぎ去らないと分からない事って、ありますね(^_^;)
高校生の時なのに未だに覚えていて、そして この年齢になって実感する。

就職

私が就職したのは高校の卒業式の5日後でした。

早いですよねぇ~(笑)
就職したのは土木や水道関係の資材を売るお店でした。
そこで最初に覚えるのは細かなパーツと、パーツの置いてある場所💧
すごい数と種類を覚えなくてはいけませんでした。
最初は分からなくて前々からいる倉庫のおばちゃん達に何度も場所を聞きながら用意します。

名前と場所を覚えたら 今度は会社名や場所を覚えないといけません。
なので今度は受付になります。
受付では、トラックの配送のドライバーさんの間と
お客様との間に挟まれて悩みましたね(^_^;)
お客様にはお客様側の要望があり、ドライバーさんにはドライバーさんの配送の都合があります。
なので謝ってばかりの毎日でした。
ここで会社の名前や場所、担当の方々の名前など覚えていきました。

毎日毎日電話に出ているので、家にかかってきた電話にまで『はい、⭕⭕会社でございます』と出たりしてました(笑)
習慣って怖い…。

正直なところ辞めたいと何度も思いました。
倉庫のおばちゃんの中には、優しい方も居られますが
色々な方がいますから(^_^;)
ドライバーさんからの都合、お客様からも言われるし…とネガティブな事を言ったらキリがないですね(笑)
でも高校の先生から言われた言葉『三年間は辞めずに頑張ってくれ』
この言葉だけで辞めませんでした。

学校では企業の推薦をしてくれます。
私が三年以内に辞めてしまうと、私の後輩が会社に入れなくなる可能性があるからと言う理由でした。
そうやってズット企業からの募集を頂いてるってことです。

最終的に、受付からコンピュータールームに配属されましたが
結局、5年勤めて会社を辞めました。
その後は実家の仕事の事務をして広島に引っ越しました。
広島では、以前バルーンを教えてくれた人から結婚式での手伝いを頼まれました。
その時にしていたのがスパークバルーンでした。

スパークバルーンは、やり方が2種類あります。
その2種類のやり方のうち、引き割りと呼ばれるタイプのスパークバルーンを毎週数件してました。
年間通して100件以上したスパークバルーンの経験があり、色々な要望を聞いたりする中で様々な発見などありました。

過去の仕事とは全く異なる職業についている私ではありますが、
どの職業で得た経験も、何かしらの役に立っていると感じる事が多々あります。

実際、全く関係ない仕事をしていた時もありました。
広島でバルーンの仕事をしながら整体屋さんにも勤めたこともあります(笑)
その経験から、バルーンで肩がカチカチになってる人を、その場でほぐしてあげる事もありました。
自分自身でも、ほぐすことができるようになったし
なにより健康に気を遣うようになりました。

考えてみると色んな経験が、今の自分のプラスになっていることがあります。
どれも無駄になってないなぁ~と過去の仕事を振り返ってみて思うことでした。

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